弘前ねぷたの絵の出典

●三国志通俗演義

中国の古典、長編歴史小説
作者 羅貫中(ら かんちゅう)(1330〜1400年頃)。
    元末期から明初期の通俗小説や戯曲の作者。
    作品 『三国演義』 『平妖伝』 『水滸伝』(施耐庵と合作)などの長編小説を作ったが、全て後人の手が加わっている。
   日本では普通、『三国志』として知られているが、三国志とは元来、晋の陳寿が編集した正史の名で、
「魏-ぎ-」の曹操(そうそう)、「呉-ご-」の孫権(そんけん)、「蜀-しょく-」の劉備(りゅうび)の3人の英雄が
天下を争った、いわゆる中国の三国時代(221〜265年)の歴史を記している正史。

『三国演義』はを正統としている立場だけに、桃園の義(誓い)に始まり関羽(かんう)、張飛(ちょうひ)の武勇、
大黒柱の諸葛孔明(しょかつこうめい)の知謀を中心に展開して、蜀の滅亡とともに終る。

国盗り戦争の記述が大きな比重を占めるが、登場する英雄・豪傑の人物描写がすぐれ、全編を貫く男性的な
魅力が広く民衆に読み継がれてきた。

●水滸伝

中国の古典、長編小説。
作者 施耐庵(し たいあん)(?〜?年)。
    明初期の長編小説だが、作者については近年その「墓誌」と「伝記」各1編が発見されたが、後人の偽作と考えられ、
    伝承はいっさい不明である。
   北宋の宣和年間(1119〜1126年)、宋江(そうこう)以下108人の頭目を擁する群盗が、山東の梁山泊(りょうざんぱく)
にたてこもって天下を騒がす物語。

108人の前歴は小吏、武官、田舎学者、農漁民、商人、博徒、泥棒など多彩で、彼らが本質的には豪傑として必然の
様々な凶状を負って、続々と梁山泊に流れてくるのが前半。

後半は鎮圧に手こずった朝廷の「招安」に応じて官軍になり変わり、北方の遼(りょう)を討ち、さらに江南の方臘(ほう
ろう)の乱を平らげ、戦死・離散ののち、残った巨頭連は奸臣に毒殺されて悲劇に終わる。

●源平の合戦

源氏と平氏の戦い。

●大浦(津軽)為信の津軽統一

織田信長の天下統一後、南部氏の支配下にあった津軽で大浦城(現 岩木町五代)の大浦為信が、石川城の攻略に始まり
和徳城、大光寺城、浪岡城、油川城、田舎館城、高楯城を17年間で滅ぼし、津軽を統一。 豊臣秀吉より天下公認の証明を
受け、津軽三郡(平賀郡、田舎郡、鼻和郡)所領四万五千石の大名として認められた。その後、高岡(現在の弘前公園)に城郭
建設を計画し二代目信枚が五層の天守閣を築城した。その後200年にわたる津軽藩の礎を築いた。

●川中島の合戦

戦国時代の大名、武田信玄と上杉謙信による戦い。