| 年 代 | 
    弘 前 市 一 般 史 | 
    弘 前 市 ね ぷ た 史 | 
  
  
    | 藩政時代 | 
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    戦塵がおさまり津軽藩の中央化が進む | 
    津軽各地でねぷたの起源「眠り流し」が行われる | 
  
  
    | 元禄 | 
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    制度が整い産業が発展し、文化が著しく向上する | 
    それまでの眠り流し行事が灯籠祭に発展する | 
  
  
    | 享保 | 
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    灯籠に様々な飾りが付けられ、観覧者が出るくらいの「運行行事」となる | 
  
  
    | 天明 | 
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    灯籠に「禁喧(嘩)」「石打無用」の文字が記され、ねぷた喧嘩が発生する | 
  
  
    | 文化 | 
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    人形灯籠が出現する | 
  
  
    | 明治4年 | 
    1871 | 
    廃藩置県(弘前県他四県誕生) | 
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    〜この頃文明開化に則り、ねぷた・虫送り・盆踊りなど野蛮とされ禁止される | 
  
  
    |   15年 | 
    1882 | 
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    「ねぷた取締規則」が定められ禁止令は解除、運行は許可制となる | 
  
  
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    〜この頃、扇燈籠が出現。人形灯籠も現在の構造に近くなる | 
  
  
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    〜この頃、20メートル大の大型人形ねぷたも出現する(運行せず展示だけされるのも) | 
  
  
    |   42年 | 
    1909 | 
    電灯会社により市内電話が開通 | 
    電柱により電線が張りめぐらされ、ねぷたが大型から中型、小型へと変化する | 
  
  
    | 大正元年 | 
    1912 | 
    大正と改元 | 
    大喪中につき、ねぷた・盆踊り禁止 | 
  
  
    |   2年 | 
    1913 | 
    東北地方大凶作 | 
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    |   3年 | 
    1914 | 
    第一次世界大戦始まる | 
    初めてねぷたの連合運行を行う | 
  
  
    |   4年 | 
    1915 | 
    大正天皇御来弘(陸軍大演習統監) | 
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    「弘前観桜会」始まる | 
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    |   10年 | 
    1921 | 
    官立弘高開校 | 
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    |   11年 | 
    1922 | 
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    津軽義孝伯に電灯照明の特製ねぷたをご覧にいれる | 
  
  
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    ねぷた喧嘩「半鐘事件」起こる | 
  
  
    |   13年 | 
    1924 | 
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    ねぷた喧嘩で死者1名、喧嘩が激化する | 
  
  
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