弘前ねぷた史 昭和初期〜戦前 戦時下による自粛と「ねぷた喧嘩」の衰退 |
年 代 | 弘 前 市 一 般 史 | 弘 前 市 ね ぷ た 史 | |
昭和元年 | 1926 | 昭和と改元 | 喧嘩防止のため高燭電灯を設置する |
3年 | 1928 | 富田地区を弘前市に合併 | |
4年 | 1929 | 世界大恐慌 | 弘前商工会 ねぷたに懸賞金制度を設ける |
6年 | 1931 | 弘前銀行・第五十九銀行をはじめ県下で休業続出、 | 不況のため弘前、青森ともねぷた、ねぶたが不振となる |
金融業界混乱 | |||
8年 | 1933 | 最後のねぷた大喧嘩「朝陽橋の血戦」が発生する | |
10年 | 1935 | 秩父宮御夫妻御来弘 | ねぷた喧嘩対策のため弘前警察署が若手巡査で「新選組」を結成する |
(弘前歩兵第31連隊大隊長着任) | ねぷた喧嘩下火に向かう | ||
ねぷた照明にバッテリーが普及し始める | |||
11年 | 1936 | 秩父宮両殿下への台覧に組ねぷたや扇ねぷたが多数出陣する(戦前最後) | |
12年 | 1937 | 日華事変起こる | ねぷた運行が自粛される |
13年 | 1938 | NHK弘前放送局開局 | 〜この頃戦争で非常時につき、ねぷた運行を中止する(終戦まで) |
16年 | 1941 | 太平洋戦争始まる | |
19年 | 1944 | この年士気高揚のため、7組のねぷたを運行する | |
20年 | 1945 | 終戦 | |