津軽平野と岩木山が目に浮かぶ・・・それが津軽民謡 |
カラオケでヒットして歌われて しだいに誰も歌わなくなって しまう歌とは違うんだね |
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〜 ロマントピアそうま スキー場山頂より 〜 |
「民謡」という言葉は意外にも新しく、使われ出したのは明治中期からです。 しかし、それよりはるか以前から、津軽で、また南部で歌われ広まってきた 仕事唄、遊び唄、道唄、祭り唄、祝い唄・・・。 のびのびとした豊かな自然、大きな岩木山、長く厳しい冬・・・。 その中で永遠に歌われ続ける、民謡は「心のふるさと」そのものです。 |
鎌倉時代から室町時代の頃、安東氏による統治で現在の十三湖(十三湊)には 様々な物資が運ばれて来ました。また、その頃越後のごぜ≠ノより様々な唄や 芸能(祭文松坂)も伝わりました。明治10年頃になり、独特の唄や太棹(ふとざお)の 三味線が生まれてきたと言われています。 |
津軽五大民謡 | 津軽じょんから節 | 最も代表的な津軽民謡。旧、中(なか)、新、新旧節などがある。慶長27年、現在の黒石市浅瀬石に生まれた。 |
津軽あいや節 | 九州の「ハイヤ節」が日本海を北上し新潟(佐渡)で「おけさ」となり、津軽に入って「津軽あいや節」になったと言われている。 | |
津軽よされ節 | 寛永初年、現在の黒石市付近の農村に住んでい農家の与左部郎という人の歌った唄と言われる。部落民の集まり等で目上の人の長居を嫌う事から追い出し策に。「前囃子」は明治の中頃から広く流行した。凶作の年は早く去れ、と祈る「世去れ」という説もある。 | |
津軽おはら(小原)節 | 大正14年、故成田雲竹氏がレコード録音した時、以前は「塩釜甚句」という名で歌われたものをオハラ〜と唄うところから「小原節」と命名した。現代の歌詞では「春は桜の弘前城〜夏は緑の岩木山〜秋は十和田で紅葉狩り〜冬は大鰐湯の香り」 と、津軽の四季を表した歌詞が魅力。 | |
津軽三下り | 駄賃つけの馬子たちが流して歩いた唄といわれる。 | |
その他の 津軽民謡 |
津軽甚句 | 天文初年に新潟県柏崎地方から伝わったものと言われる。別名、「ドダレバヂ」。農作業はもちろん、いろいろな催し物で歌われていた。津軽地方方言たっぷりの盆踊り唄。 |
りんご節 | 戦後に誕生した新作の民謡。昭和29年に故成田雲竹氏が作詩・作曲。当時青森りんごのPRに一役買うため雲竹氏がレコード録音するにあたり故高橋竹山氏がアレンジしている。 | |
津軽山唄 | 尺八の伴奏で歌う、詩吟にも聞こえる朗々とした民謡。 | |
弥三郎節 | 文化5年、西津軽郡森田村(現つがる市)下相野で生まれた。全国の民謡の中でも珍しい「嫁いびり」を歌った唄。昭和26年、文部省文化祭に故成田雲竹氏が出演しレコード録音するにあたり故高橋竹山氏がアレンジしている。 | |
十三の砂山 | 現在の十三湖、興国2年の大津波と大火の前、かつて東日本最大の貿易港として繁栄した十三(とさ)湊にまつわる唄。本場の十三村(市浦村)では小太鼓だけで唄い踊る。昭和26年、文部省文化祭に故成田雲竹氏が出演しレコード録音するにあたり故高橋竹山氏がアレンジしている。 | |
ホーハイ節 | ヨーデルにも似た独特の裏声で歌う。 | |
謙良節 | 格調高い祝い唄。津軽山唄と並んで人気ある津軽民謡。 |