<津軽藩士の慰霊をこめて・・・> しれとこ斜里ねぷた |
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弘前市と友好都市による文化交流の中から 7月下旬に3日間、大小15台余りの扇ねぷたが |
◆知床 斜里町◆ |
斜里と弘前ねぷたのつながり 1907年、江戸幕府は北辺警備の必要性から津軽藩に斜里地方の警備を命令しました。 100余名の津軽藩士が7〜8月頃斜里に到着、しかし11月中句から寒さと栄養不足により病人が続出し、 ひと冬で72名の藩士が死亡するという事件がありました。 このような史実に基づき、昭和48年、津軽藩士殉難慰霊碑を建立して以来、毎年7月に町民の手で慰霊祭 を行っていたことが縁で、昭和58年、青森県弘前市と「友好都市の盟約」を結ぴました。この盟約を記念し、 同年7月に「弘前ねぷた」が斜里町に伝授され、町民が一体となって2台の扇ねぷたを運行したのが始まりと なり、以来年々規模を増し大小15台あまりのねぷたが運行されています。 |
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